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出典「ウィキペディア(Wikipedia)」(2009/06/02)
『ライオン・キング』(The Lion King )は、1994年6月13日に全米で公開されたディズニーによる長編アニメーション映画。
32番目のディズニーアニメーション作品。上映時間88分。
続編に『ライオン・キング2 シンバズ・プライド』(''The Lion King II:Simba's Pride'', 1998年)、『ライオン・キング3 ハクナ・マタタ』(The Lion King 1½, 2004年)がある。
公開を待たずに事故死(1994年4月3日)したディズニー社長(当時)で七大陸最高峰登頂を果たした冒険家のフランク・ウェルズに捧げるとするメッセージで物語が始まる。
動物たちの王国、プライド・ランド。その王として尊敬を集めるライオンのムファサは、息子であるシンバに、自然界を支配するバランス、サークルオブライフ(Circle of life)について、また王としての心構えについて教える。しかし、目下のところやんちゃ盛りの子供であるシンバは幼馴染のナラと遊んでばかり。そんな中、シンバが王になる事を望まないムファサの弟スカーは、ムファサ親子を亡き者にしようと画策する。そしてムファサは殺され、シンバはその死の責任を負わされて王国から追放された。
父親を失い、故郷を追われ、絶望に支配されていたシンバは、ミーアキャットとイボイノシシのコンビ、ティモンとプンバァの2匹と出会った。シンバは2匹と一緒に「ハクナ・マタタ(くよくよするな、の意味)」をモットーとした暮らしを続け、成長していく。一方プライド・ランドは、暴君となったスカーによって荒廃していた。シンバは、助けを求めて故郷を出てきたナラと偶然にも再会し、王国の現状を知らされる。過去と向き合うことに躊躇し、葛藤するシンバだったが、ついに王国へ戻ってスカーと対決することを決意する。
※以下の紹介には、テレビ版での設定も含む。
;シンバ
:本作品の主人公。プライド・ランドの王であるムファサとサラビの息子。
:詳細はシンバを参照
;ナラ
:サラフィナの娘で、シンバとは幼馴染。
:プライド・ランドの危機には、群れを離れ単身で助けを求めにきた。勝ち気なメスライオン。
:詳細はナラを参照
;ムファサ
:プライド・ランドの王で、シンバの父親。
:詳細はムファサを参照
;サラビ
:ムファサの妻で、シンバの母親。
:詳細はサラビを参照
;スカー
:ムファサの弟で、陰険なライオン。
:詳細はスカーを参照
;ティモン
:ミーアキャット。
:シンバの子育ての時にはザズー同様、やんちゃぶりに手を焼いた。その苦労をティモンは、「子育て地獄」と称した。
:口は悪いが気は小さく、面倒見がいい。だが金や権力には弱い。またとても頭の回転が速く、いろんなところで作戦を思いつく。(ライオンキング3で、二匹でハイエナ達をシンバから引き離して、母親と叔父がトンネルを何本も掘った落とし穴へ誘い込んだのが一例)
:その他詳細はティモンとプンバァを参照
;プンバァ
:イボイノシシ。
:砂漠で倒れていたシンバを見つけ、助けようとした。気が優しい。
:ティモンと出会う前は、体臭やおならの臭いが酷く、そのせいで友達がいなかった。
:その他詳細はティモンとプンバァを参照
;シェンジ・バンザイ・エド
:スカーの手下であるハイエナのトリオ。
:詳細はシェンジ・バンザイ・エドを参照
;ラフィキ
:年老いたヒヒ。呪術師であり、王子誕生の儀式では欠かせない存在となっている。自分を見失って悩んでいたシンバを導いた。また、プンバァとティモンにハクナ・マタタを教えた人物でもある。
;ザズー
:プライド・ランドの王に仕える執事のサイチョウ。幼少期のシンバ、ナラの面倒をみることもあり、そのやんちゃぶりには手を焼いていた。
;サラフィナ
:ナラの母親。
:詳細はサラフィナを参照
- Circle of Life (サークル・オブ・ライフ)
- Morning Report (朝の報告)
- I Just Can't Wait to Be King (早く王様になりたい)
- Be Prepared (準備をしておけ)
- Hakuna Matata (ハクナ・マタタ)
- Can You Feel the Love Tonight? (愛を感じて) – アカデミー歌曲賞を受賞。
2003年10月に発売されたスペシャル・エディションはオリジナルの他に新たに朝の報告や新作ゲーム等が追加された。
またその翌年の7月にはライオン・キング2のスペシャル・エディションが発売された。
- ムファサの声を担当しているジェームズ・アール・ジョーンズは、スター・ウォーズのダース・ベイダーの声を担当していることで有名であるが、本作の中でシンバに語りかけるセリフのひとつに「お前は私の息子だ」というのがある。これは「スター・ウォーズ/帝国の逆襲」の中でダース・ベイダーが息子であるルーク・スカイウォーカーに語りかけたセリフと同じである。
- 挿入歌"I Just Can't Wait to Be King"(早く王様になりたい)は当初、ムファサも参加する予定だったが、ジェームズ・アール・ジョーンズの声質に合わなかったため実現には至らなかった。
- 挿入歌"Be Prepared"(準備をしておけ)は、スカーの歌であるが、ジェレミー・アイアンズの声帯に異常が見られたため、後半部分のみジム・カミングスが代役を担当している。
- 挿入歌"Hakuna Matata"(ハクナ・マタタ)では、プンバァがハクナ・マタタ精神に目覚めるまでの経緯が語られているが、制作段階ではティモンのミーアキャットの群れでの生活や、群れを離れるまでの経緯を描いた"ティモン・バージョン"が用意されていた。
- ライオンキング2でコブが『アラジン』のアラジンとジャファーの対決時のジーニーの真似をしている。
- ライオンキング2でシンバが娘のキアラにコブにもう会うなと警告するシーンは
- シンバ – ジョナサン・テイラー・トーマス(幼年期)、マシュー・ブロデリック(成年期)
- ムファサ – ジェームズ・アール・ジョーンズ、フランク・ウェルカー(鳴き声)
- サラビ – ラス・エドモンズ
- ザズー – ローワン・アトキンソン
- スカー – ジェレミー・アイアンズ
- ナラ – ニキータ・カラム(幼年期)、モイラ・ケリー(成年期)
- プンバァ – アーニー・サベラ
- ティモン – ネイサン・レイン
- ラフィキ – ロバート・ジローム
- シェンジ – ウーピー・ゴールドバーグ
- バンザイ – チーチ・マリン
- エド – ジム・カミングス
日本語吹き替え版
- シンバ – 中崎達也(幼年期)、宮本充(成年期)
- ムファサ – 大和田伸也
- サラビ – 北浜晴子
- ザズー – 梅津秀行
- スカー – 壤晴彦
- ナラ – 山本純子(幼年期)、華村りこ(成年期)
- プンバァ – 小林アトム
- ティモン – 三ツ矢雄二
- ラフィキ – 槐柳二
- シェンジ – 片岡富枝
- バンザイ – 樋浦勉
- スペシャル・エディション追加部分
- シンバ – 村上想太(幼年期)
- 1994年 アカデミー賞 作曲賞
- 1994年 アカデミー賞 主題歌賞
- 1994年 LA批評家協会賞 アニメーション賞
- 1994年 ゴールデングローブ賞 作品賞(ミュージカル・コメディ部門)
- 1994年 ゴールデングローブ賞 音楽賞
- 1994年 ゴールデングローブ賞 歌曲賞
本作発表の前後、手塚治虫による1960年代のテレビアニメ『ジャングル大帝』とプロットやキャラクター、またいくつかのシーンが酷似しているという指摘がアメリカのファンやマスコミから提示された。日本からも里中満智子ら450以上の抗議がディズニーに送られた。
これに対しディズニーは当初、製作者は『ジャングル大帝』を知らず、偶然の一致に過ぎないと見解を示した。しかしサンフランシスコ・クロニクルが主要スタッフにインタビューを行ったところ、8名中3名が『ジャングル大帝』を知っていると答えた。また、ヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞を受賞している同作を、アニメ映画に携わる者が知らない方が不自然とも指摘された。ディズニーは反論として、ライオン・キングは『バンビ』手塚治虫は映画『バンビ』に大きく影響を受けているが、この映画が日本で公開されたのは1950年。漫画『ジャングル大帝』の連載はこの1年前であり、福井健策は両作品間の影響については懐疑的である。やシェイクスピアの『ハムレット』から着想を得たと説明した。また、アフリカを舞台にすれば登場する動物の種類は限られることや、逆に相違点なども多く提示された。
この騒動は、手塚プロダクションが「もし手塚治虫がディズニーに影響を与えたというのなら光栄だ」という声明を出したために沈静化した。1994年7月13日のロサンゼルス・タイムズは、企画時のライオン・キングのタイトルが「King of the Jungle」だったと報道した。ライオンの生息地はサバンナであり、ジャングルに生きるライオンという設定は特殊なもので、『ジャングル大帝』では冒頭部で「たったひとつの例外」『ジャングル大帝』、講談社、1977年と書かれている。しかしこれによって騒動が再燃することは無く、当事者同士が主張を戦わせなかったために騒動は収束した。
ディズニーによる盗作問題は『オリビアちゃんの大冒険』『観たり撮ったり映したり 増補・改訂愛蔵版』(キネマ旬報社 ISBN 4873761468 )、『アトランティス 失われた帝国』でも発生している。
ディズニーが舞台ミュージカルとして製作、1997年11月13日、ニューヨークのニューアムステルダム劇場で初演された。演出を担当した芸術家のジュリー・テイモアは、アフリカン・アートと影絵や文楽といったアジアの伝統芸能を融合し、パペットやマスクを駆使した舞台美術を生み出した。1998年のトニー賞では、最優秀演出賞、最優秀衣裳デザイン賞を受賞。ニューアムステルダム劇場での公演は2006年6月4日まで続き、同月13日からはミンスコフ劇場に舞台を変えて引き続きロングラン公演中。
日本では劇団四季が1998年から東京都港区の劇団四季専用劇場「JR東日本アートセンター四季劇場[春]」などで上演を続けており、連続10年目という前人未到のロングラン記録を樹立している。ニューヨークの公演がミンスコフ劇場に場所を変えたことにより、2008年時点で本作の同一劇場での上演は四季劇場[春]が世界最長である。
他にも上演地は、ドイツやオランダ、韓国など8ヶ国12都市(閉幕した公演地も含む)に広がっている。
ミュージカルにおける逸話
ミュージカル版ライオンキングは大掛かりな舞台装置を使うことでも有名で、その最たるものに高さ4メートルを誇る「プライドロック」がある。王国を象徴する巨大な岩であり、王位や王の権力を示す目的でも使われ、映画でもミュージカルでも観る者の目に非常に強い印象を残す。奈落から迫り出して使うため、当然、奈落収納時は深さ4メートルの奈落が必要になるが、ニューヨーク初演で使用されたニューアムステルダム劇場の奈落にはプライドロックを収納するに足るだけの十分な深さがなかった。そのため、プライドロックを3段に畳んで収納することにした。しかし、たたみ目が段になっているのが外見で分かってしまうため、美術面の点で制作スタッフには不満が残った。 世界で2番目の公演地となった東京、四季劇場[春]での公演では、奈落にプライドロックを収納できる十分な高さを確保できたため、本来考えられていた姿形そのままのプライドロックが製作された。それを見たディズニーの制作スタッフは「これが我々の求めたプライドロックだ」と喜んだという。 こういった舞台装置を使うために、ライオンキングを公演する際には劇場の舞台の床の構造や骨組みを一度取り払わねばならない。しかしこのような贅沢な工事が行える劇場は限られており、また費用の面でもツアー公演を行うには大きな課題があった。 ツアー公演の需要が高いアメリカでこれを実現させるため、福岡での(ビルの中にある)福岡シティ劇場公演では、盆やせりを使わず、プライドロックを小さくして舞台袖から出し入れするなど、大掛かりな工事を伴わない「リニューアル版(ツアー版)」での上演が試みられた。このツアー版公演の成功によって、アメリカでは2002年に「ガゼルツアー」、翌2003年には「チーターツアー」という二つのツアーカンパニーが結成され、全米ツアー公演が実現した。 基本的に、劇場が本来の演出で上演を行えない構造の場合にのみツアー版で上演されるようで、福岡公演閉幕後の名古屋公演(新名古屋ミュージカル劇場、本来の舞台装置を設置できるだけの舞台機構を有していた)では、オリジナル版での上演が行われた。 アメリカでのオリジナルでニューヨークのブロンクス訛りで話される台詞の部分(主にティモンとプンバァ)は日本版では各上演地の地元方言(標準語、大阪弁、名古屋弁、博多弁)にそれぞれ翻訳された。 以前、とある番組内でミュージカル版ライオン・キングでスカーを演じていた劇団四季(当時)の俳優が「スカーの左目の傷は幼い頃ムファサにつけられたもの」と語ったことがある。この設定がディズニーによる公式なものなのかは定かではないが、俳優という立場の人間による公の場での発言という点を考慮すれば、信憑性は高いといえる。しかし、アニメ映画でも同様の設定なのかどうかは不明。 歴史の長いミュージカルであるため、子供の頃のシンバ役を務めていた子役が成長を経て、成長したシンバ、ムファサ役を演じる事が少なくも無い。功績
- 1998年 グラミー賞 最優秀キャストアルバム賞
- 1998年 グラミー賞 最優秀ミュージカル賞
- 1998年 NY演劇批評家賞 最優秀ミュージカル賞
歴史
;劇団四季- 1998年5月15日 「ライオンキング」日本版製作発表
- 1998年12月20日 東京公演開幕(四季劇場[春] こけら落し公演)
- 1999年4月18日 大阪公演開幕(大阪MBS劇場 こけら落し公演)
- 2000年4月14日 総入場者数100万人突破
- 2000年9月20日 岡村隆史(ナインティナイン)が「めちゃイケ」の企画で東京公演に出演
- 2001年1月14日 大阪公演千秋楽(公演期間21ヶ月、公演回数673回、入場者数約67万人)
- 2001年4月1日 東京公演入場者数100万人突破(日本最短記録)
- 2001年4月17日 福岡公演開幕(福岡シティ劇場)
- 2001年8月18日 東京公演通算公演回数1000回達成(日本最短記録)
- 2003年3月23日 福岡公演千秋楽(公演期間24ヶ月、公演回数700回、入場者数約70万人)
- 2003年5月10日 通算公演回数3000回達成(日本最短記録)
- 2003年6月8日 名古屋公演開幕(新名古屋ミュージカル劇場)
- 2003年8月21日 東京公演入場者数200万人突破(日本最短記録)
- 2004年10月23日 通算公演回数4000回達成(日本最短記録)
- 2006年1月9日 名古屋公演千秋楽(公演期間31ヶ月、公演回数930回、入場者数約85万人)
- 2006年6月7日 「ライオンキング」ソウル公演製作発表
- 2006年7月30日 通算公演回数5000回達成(日本最短記録)
- 2006年10月28日 「ライオンキング」ソウル公演開幕(ソウル シャルロッテ劇場)
- 2007年7月20日 東京公演通算公演回数3000回達成
- 2007年10月28日 ソウル公演1周年&千秋楽(公演期間12ヶ月、公演回数330回、入場者数約22万人)
- 2008年1月6日 福岡公演(第2期)開幕(福岡シティ劇場)
- 2008年10月30日 国内通算公演回数6000回達成(日本最短記録)
- 2008年12月20日 東京公演10周年達成
日本公演でのオリジナルキャスト
- ストーリーについて製作者達は、シェイクスピアの『ハムレット』、聖書のヨセフとモーセの物語、1942年のディズニーアニメ『バンビ』から影響を受けた(もしくは、題材とした)と語っているが、手塚治虫の『ジャングル大帝』にキャラクター設定が酷似していると批判を受けた。#盗作騒動を参照のこと。
- 『ライオン・キング』がシェイクスピアの『ハムレット』(叔父に対する復讐)を題材にしているのと同様に、続編『ライオン・キングⅡ』はシェイクスピアの『ロミオとジュリエット』(敵対する家庭同士の息子と娘の恋愛)を題材にしている。どちらもディズニーらしく、悲劇に終わらないようストーリーを変更している。
- 公開当時、7億8300万ドルという、アニメ映画としては過去最高の興行成績をあげた。現在は『シュレック2』、『ファインディング・ニモ』に続いて第3位(最高興行収入映画の一覧参照)。
- セルビデオ出荷数は2003年夏で5500万本、日本で200万本。
- ミーアキャットのティモンとイボイノシシのプンバアを主人公にした『ライオンキングのティモンとプンバァ』が「ディズニー・チャンネル」(2007年9月30日にて放送終了)と「トゥーン・ディズニー」で放送されている。また、『ティモンとプンバァ』シリーズのDVDが3本発売されている。
;「盗作騒動」項
- 、p100-110「3.ディズニー『ライオン・キング』をめぐる論争から」
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